こだわり逸品物語(1)……新宿中村屋本格インドカリー誕生秘話
■こだわり逸品物語……新宿中村屋本格インドカリー誕生秘話■
新宿中村屋のインドカリーといえば、知る人ぞ知る老舗の本格こだわりカレーです。
くしくも、最近【朝日新聞」の「be」(1月20日)と「天声人語」(2月5日)でたてつづけに紹介されました。
特に別刷版である「be」では、連載「愛の旅人」で、「ボーズと俊子 新宿中村屋のインドカリー」と題して、その誕生のいきさつを詳しく紹介しています。
その出だしを少し引用させていただくと
「24時間眠らない街、東京・新宿。繁華街のど真ん中で、「中村屋」は1日2000食のカリーを売りさばく。スプーンとフォークを置く紙には、こんなエピソードが書かれている。
亡命中のボースは中村屋創始者の娘・俊子と恋を成就。妻にカリー本来の味を伝えたい一心から、カリーの生命となる20種類ものスパイスを求めて世界を巡り、苦心の末に日本で初めて純インドカリーを昭和2年に完成――。
ラス・ビハリ・ボース。インド独立の志士として広く知られるチャンドラ・ボースとは別の、もう一人のボースのことである。」
とあります。
つまり、インドの革命家であるラス・ビハリ・ボースは、英国政府に追われる身となって、日本に亡命してきたのです。
当時、東京・新宿のパン屋「中村屋」の女主人・相馬黒光(こっこう)は、自由で進歩的な考えをもった「新しい女」といわれていました。中村屋はいつも芸術家や文学者、役者たちでにぎわい「中村屋サロン」と呼ばれていました。
やがてボースは、「中村屋」にかくまわれ、経営者の相馬夫妻の世話になリます。逃亡生活を送る中、夫妻の長女・俊子と結ばれ、カリー物語の一ページが開かれるのです。
だが、幸せはつかの間に終わり、妻敏子は肺結核で他界……。
昭和の初め、新宿界隈は、急速に盛り場へと変容し、デパートや映画館はにぎわいをみせていました。
失意のボーズは、やがて俊子の死を乗り越え、本格インドカリーを出すことを決意したのでした。
このあたりの詳細は、「be」本文をご覧ください。
「be」
そして記事は、ボーズの母国インドのカレーへのこだわりについて、こう続きす……
「明治時代に英国から入ってきたカレーは家庭に定着していたが、カレー粉とともに小麦粉をいためてルーを作る英国流。ニンジン、ジャガイモ、タマネギを盛り込み、福神漬けを添えるなど、日本風にアレンジされていた。
ボースは純インド式にこだわった。形がなくなるまでいためたタマネギのとろみと、最上級の鶏肉とバター、たくさんのスパイス。シャモを飼育し、一般より2割高いコメの栽培を農家に頼んだ。カリーという発音も本場を意識した。
町の洋食屋のカレーが10銭の時代、中村屋は80銭もした。それでも日本人にとって衝撃的な味は「恋と革命の味」として一躍評判に。中村屋のカリーを食べるのは「学生や文化人のステータス」とまでいわれた。 」


中村屋喫茶部のマッチ。当時(昭和初期)カレーは10銭ほど、それが中村屋は一人前80銭もしました。それでも、食べにくる客は途切れる事はないほどの人気でした。
※新宿中村屋の本格インドカリーは、当サイトの「うわさのカレー」でも紹介しています。

